こんにちは。ノッキーです。
2024年8月。私は休職しました。適応障害になってしまいました。
休職に至るまでをここに記していきます。
⑥会社に報告。引継ぎラッシュ。
前回の記事はこちらをご覧ください ↓

適応障害について、会社には どのように伝えればよいだろうか。
今日は日曜日なので会社は休みだが、上司には今日中に報告するべきか、ずっと考えていました。
妻とは すぐに話ができますが、会社に対してはキチンとした連絡をしないと。
上司や部下たち、職場の仲間、総務や関連部署など、私が休職することで影響がある人たちのことを考えると、胸が締め付けられる思いになります。
とにかく上司に連絡しないといけないですが、今日は日曜日。
メールだけでも一報入れた方がよいのだろうか?
どのような内容を報告すればよいのだろうか?
休みの日に休職の話なんてしたら迷惑にならないだろうか?
メールで報告したら失礼になるのではないか?
いろいろなことを考えれば考えるほど、どうすればよいのかわからなくなってきました。
「よし。考えるのはやめよう。今の働かない頭でいくら考えても答えは出ないだろう。報告は明日にしよう。 」そう思って、今日は気分転換のため子供たちと遊ぶことにしました。
月曜日になりました。
報告する不安のためか、あまり眠れず、いつもより調子が悪いです。
会社に行きたくない。でも報告しないと進まない。
気合を入れて動き出し、いつもより30分ほど早く家を出ました。
会社に向かう車の中でも「どう報告しよう。休むなと言われたらどうしよう。仕事はどうすればいいのだろう。」と心配事で頭がいっぱいになっていて、いつの間にか会社の駐車場に着いていました。
社屋に入ると、そのまま課長がいる事務所に向かいました。朝早かったですが、事務所には数名の人がいました。
席に座っている課長を見つけ、「おはようございます。朝から申し訳ないのですが、報告したいことがあるので、二人になれる場所に移動してもらえないでしょうか?」と告げました。
今まで働いている中で、二人で話すような内容は大体が悪い話のときでしたので、課長も感づいて「何事?」と返してきました。
空いている会議室に移動し、そっと診断書を手渡しました。
「適応障害になってしまいました。医師からはとりあえず2か月休職するように言われています。」と、診断の内容を伝えました。
課長は少し黙って診断書を読んでいました。少し経ってから「まぁ、こうなってしまってはしょうがないよ。体が第一だから。休職できるよう手続き進めようか。」と言ってくれました。
私の気持ちを察してくれたのでしょうか。診断書を渡したら、いろいろ言われるのかと心配でしたが、理解してもらえたようです。
課長はすぐに部長や総務部に話を通し、職場のメンバーにも課長から連絡してもらえるようになりました。
今日は仕事の引継ぎに集中するように言われ、関係部署の係長と班長を呼んでくれました。 休職の手続きは課長に任せて、係長、班長、私の3人で業務の引継ぎが始まりました。
この係長とは普段から話すことが多く、私の仕事が大変なことを知っており、たまに手伝ってもらっていました。そんな中での休職報告。とうとうこの日が来てしまった、という感じでした。
病院の予約をしてからこの1か月間、仕事をしながら自分の業務をまとめていて良かったです。その業務リストを見ながら引継ぎを進めました。
「この仕事の内容はこういう状況で、期限はこの日まで。それまでにこの作業を終わらせる。関係者は○○さんと××さん。」というように、リストを順番に説明していきました。
しかし、リストに無い細かい作業も多く、逐一追加しながら話しましたが、業務が多すぎて、とても引継ぎが終わりません。係長も班長も理解が追いついていない様子。やはり数年分の業務内容・経験・知識を数時間で伝えることは不可能だと思いました。
途中から課長も加わって、業務引継ぎや人員采配をやっていましたが、全然終わりません。重要な部分だけに絞って説明するようにしましたが、この日は1日かけても終わらずタイムアップ。課長は私の体調を考え、残業させないつもりでいたようですが、結局残業しても引継ぎは終わりませんでした。
明日も引継ぎの続きをやることになり、この日は終了しました。
火曜日。今日は課長からの指示で、引継ぎが終わらなくても定時で終了し、明日から休みに入ることになりました。ただ、仕事を考えると、何とか時間内に引継ぎを終わらせる必要がありました。
朝からまた係長、班長、私で引継ぎの続きを始めていきます。しかし、 係長も班長も、業務量の多さに引継ぎを諦めムード。「メモだけ書いておいてくれればいいよ」といった感じでした。昨日の大慌ての引継ぎから一転し、緩い空気で雑談交じりの引継ぎ会になりました。
午後は引継ぎリストのチェックに集中しました。リストにない項目を書き足し、細かい作業はメモとして残しました。 このリストに載っていないことは闇に葬られるかもしれない。トラブルがあったら出社命令や関係者から電話が来るかもしれない。そんな思いで必死にチェックしました。
本当に明日から休めるのだろうか?
そろそろ定時が近づいてきました。
引継ぎや、リストのチェックは結局最後までできませんでしたが、ここで終わりにしなければなりません。これで業務終了です。
課長達は残業をしていくみたいでしたので、私だけ帰宅の準備を進めました。なんだか退職するみたいで変な気持ちです。気にしなくてもいいのに、なぜか先に帰ることがバレないようにコソコソと片付けていました。
帰り支度が終わったころ、課長が「業務用のパソコンを預かる」と言ってきました。業務用パソコンは、もしものときに自宅で仕事ができるように持ち帰るつもりでした。このパソコンがないと仕事が何もできなくなります。
パソコンを課長に渡した瞬間、これで仕事から離れられるという思いが溢れ、気持ちが吹っ切れるというか、腹が決まったような感覚がありました。
「これで休みに入れるんだ。」
今まで休職するためにいろいろなことをやってきたましたが、不安や心配なことがたくさんあり、休むという感覚がありませんでしたが、すべてが終わり、ここでやっと休職する覚悟が決まりました。
とうとう退社時間になり、課長、係長、班長に挨拶をし、会社を出ました。
夏場だったので、夕方でも外はまだ明るいです。明るい時間に帰るのはかなり久しぶりです。緊張から解放されたせいか、なんかフワフワした感覚があったのを思えています。
「明日から忙しい日々は来ないんだ。」そう思うと、開放感から体の力が抜けました。
家に帰って妻に休みに入ることを報告。子供達にはまだ伝えていなかったので、家族全員を集めて事情を説明しました。
「パパは心の病気になっちゃったから、明日からお仕事を休みます。大変な思いさせちゃうかもしれないけど、治療に協力してね。」
子供たちは、パパが家にいてくれることが良かったらしく、どちらかというとプラスに捉えてくれたようです。
明日から休職開始。
さて、いったい何をすればいいのだろう。