休職するまでにやったこと② 頭が回っていない状態。

休職日記

こんにちは。ノッキーです。

2024年8月。私は休職しました。適応障害になってしまいました。
休職に至るまでをここに記していきます。

②体調の変化。ツラい…。

前回の記事はこちらをご覧ください ↓

休職するまでにやったこと① こんな働き方をしていました。
2024年8月。私は休職しました。適応障害になってしまいました。休職に至るまでをここに記していきます。①私の仕事の内容仕事を頑張りすぎて、今にも倒れそうな方に伝えたいことがあります。無理をせず、自分の心と体を大切にしてください。休めないと思...

今思うと、新規業務を始めたときから体はおかしくなっていたのだと思います。 既存業務で手一杯だったところに、新規業務が加わったことで、体へのダメージは大きくなりました。
そんな中、メンバー全員の退職という出来事が重なったことで、頭が回らなく、何をやっているのかわからなくなり、無茶苦茶な行動をして相手も呆れてしまうような場面も多々ありました。 

毎朝、仕事への恐怖で布団から出られず、起きては一度吐いて気合を入れ、仕事に向かうのが日課になっていました。当然、朝ごはんは喉を通りません。 

仕事が忙しすぎて、平日は昼ごはんを数年食べていませんでした。夜も残業や考え事で時間が過ぎ、一日何も食べないこともよくありました。
こんな生活なので痩せるかと思いきや、休日など食べられるときには、いくら食べても満腹感がなく、過食によって体重は増える一方。まさに、体に悪い生活をしていました。 

係長という立場のプレッシャーも大きかったです。
内向的で積極性が乏しく、コミュニケーションが苦手な私にとっては、非常に難易度の高い業務でした。 
現場の作業に加え、組織の改善、部下の育成、売り上げ確保、取引先との信頼回復、発注や精算業務の処理など、頭を抱える内容が多くありました。
努力に対して成果が結びつくまで時間がかかる業務が多く、苦しい状況が続いたのです。 

入社当時から、先輩社員から「倒れるなら、前のめりに倒れろ」という暗示を受けてきました。
逃げずに全力でやれるだけのことをやりなさい、という意味だと思いますが、この言葉が強烈に頭に残り、手を抜くことを許されないまま、がむしゃらに働いてきました。
何度も倒れそうになったことはありましたが、私が現場の最前線に立っていた為、倒れそうになるたびに上司,部下たちが手足を押さえつけて何とか立たせ続け、 飛んでくる矢を盾となって受け止めているような感覚でした。もはや自分の意思では倒れることすらできない状態になっていました。 

業務内容は身体的な負荷よりも精神的な負荷が高く、無理難題を押し付けてくる人たちが敵のように見えていました。それでも、親しく接してくれる人たちはいて、「働きすぎだ、体を壊すなよ」と心配してくれることもありました。 「自分なんかまだまだですよ」と言いつつ愚痴を聞いてもらいながら、なんとか仕事に食らいついていました。

寝ていても夢の中で仕事をし、目が覚めた瞬間からまた仕事のことを考える。完全に仕事人間となり、仕事を休むなんて考えもせず働き通しました。休むという選択肢を考えることすら拒否していたのだと思います。 
そんな中、部下の退職がきっかけで、身体的・精神的な負荷が大幅に上がり、ついにどうにもならない状態に陥ってしまいました。 

頭がとにかく回らない。覚えられない。物忘れがひどい。席から立ち上がった瞬間に何をしようとしていたのか忘れてしまう。3秒後に忘れる、というレベルではありません。
夢の中でも仕事をするのが当たり前で、夢を見ない日の方が少ないほどでした。 
毎朝の吐き気。咳き込んだ後、一度吐かないと朝が始まらない。通勤中は常に仕事のことを考えており、どうやって車を運転してきたのか覚えていない。
会社に着くと動悸が始まり、ロッカーで着替えている時が一番つらい。
業務PCを開くと、メールの内容に不安と恐怖を感じ、逃げ出したくなる気持ちでした。 仕事中に手が震えるのは日常茶飯事で、夕方になると疲れで目がかすみ、目の前が真っ白になって物が認識できなくなることもありました。 

振り返ると、とんでもない症状だったと思います。よくサボらず、逃げもせずに働き続けたなと感心します。
しかし、こんな状態でも働き続けてしまったせいで、体を壊すことになってしまいました。

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