2024年8月。私は休職しました。適応障害になってしまいました。
休職に至るまでをここに記していきます。
①私の仕事の内容
仕事を頑張りすぎて、今にも倒れそうな方に伝えたいことがあります。
無理をせず、自分の心と体を大切にしてください。
休めないと思っていても、意外と休職は可能です。
心と体を守るためにも、無理せず、少しでも異変を感じたら休んで自分をいたわってください。
私は内向的な性格で、人と話すのが苦手です。お酒が弱く、飲み会は苦痛でしかありません。 完璧主義で心配性。
石橋は叩きまくって壊れるまで叩いて「ほら、壊れた。危なかった。」と思い、行動するのが遅くなるタイプです。
争いを避け、常に周囲の顔色や機嫌を伺っています。例えば、Aさんが「白」、Bさんが「黒」と言った場合、私は白か黒どちらかに決めるのではなく、Aさんから見て白、Bさんから見て黒になるような方法を考え、どちらからも満点をもらえるように努力します。
遠慮がちで、頼まれたことを断れず、また自分から頼み事をするのも苦手。だからこそ、自分一人で何でもこなせるよう、がむしゃらに仕事をしてきました。
そんな私でも、真面目にコツコツと仕事をしてきたことが認められ、8年前に係長に任命されました。
嬉しいことではありますが、他人とのコミュニケーションが苦手な私にとっては、それ自体が大きなプレッシャーでした。
係長に就任後、組織マネジメントや部下の育成、取引先との交渉など、苦手な業務が増える一方で、 新規業務のリーダーも任され、日々の業務に追われました。
さらに、部下の一斉退職という事態も重なり、心身共に疲れ果て、ついに壊れてしまいました。
現在の会社に入社して、もうすぐ勤続20年を迎えます。
取引先の業務の一部を請け負い、依頼内容に基づき、納品までの計画作成、関連企業との協力交渉、製品作成、納入などを、周囲の関係者を巻き込みながら進めていく業務内容です。
取引先からの信頼を得るために一生懸命に取り組み、その努力が認められて、8年前に係長に昇進しました。
係長に就任したことで新たにマネジメント業務が加わり、組織運営や部下の教育、取引先との業務交渉などが任されるようになりました。
私の係は10名弱の小さな組織だったため、現場作業も自分が入らなければならず、業務の調整が非常に大変でした。
前の係長はトラブルにより失脚し、これまで係長が不在でした。
課長が係長職を兼務していましたが、係長業務の引き継ぎがないまま任命されたのです。
係長に就任2年目に会社から新規業務を任されました。
入社間もない新人と二人でスタートしたものの、もちろん既存の業務も兼務したままで、多忙な日々が続きました。 二人とも経験が浅いため、スキル不足で製品作成の要求に応えられず、また、会社の売り上げ不足にも対応しなければならず、謝罪と対処に追われる日々が続きました。
新規業務の能力アップに時間が回せず、日々行き当たりばったりで対応していました。
そんな中、一緒にやっていた新人が早々に退職願を提出。人員確保が急務になりました。しかし、代わりの人材は他部署の余っている人(休職中の人や派遣社員)しか当てがない状態。
それでも選り好みしている暇はなく、早急に人員を増やす必要があったため、そんな人でも入れてみましたが長続きはせず、結局はどのメンバーも1年程度で退職していく有様でした。
私自身、あまりの忙しさに新人を教育する時間もなく、結果的に人が育たないという悪循環に陥っていました。
あの手この手でやりくりし、試行錯誤を重ねて何年もかけて、ようやく仕事の形ができ、メンバーも4人にまで増員することができ、業務が安定してきました。
やっとの思いで作り上げた組織で業務をこなしている中、Xデーが訪れました。
2023年10月のある日、メンバー全員から退職願が提出されるという事態が発生したのです。 引き止めもむなしく、全員が退職することになりました。
ハードで責任の大きい業務の割に、見返りが少ないことへの不満が募り、会社への愛想が尽きたという理由でした。
業務の引継ぎもできないまま退職日を迎え、私一人だけ取り残された状態で、4人分の現場業務、係長業務、そして組織の立て直しをこなさなければなりませんでした。 当然、4人分の仕事を一人でこなせるわけはないですが、納期が迫る中、後回しにすることもできず、時間を巻くために常に全力で走りながら仕事をしていました。
会社にも状況を伝え、人員確保のために2人の新人を入れてもらいましたが、会社側としては人員補充のみが対応策であり、現場の問題は現場で解決しなければならない状態が続きました。
さらに、タイミングが悪いことに、4月から会社の組織体制が変更され、新組織に合わせた働き方への急な変更が求められました。 そのため、今まで以上に関連部署とのやり取りが増え、業務のやり方を新しい組織に合わせるため、急速に調整を行う必要がありました。
この状況で、新人の教育にも十分に時間を割けず、簡易的に作成したマニュアルを読ませるだけで育成が進まず、手伝いをお願いしても荷物持ち程度にしかならない状況が続きました。
この負のスパイラルから抜け出すことができず、私はついに八方ふさがりの状態に陥りました。
上司に今の状況を報告し、手伝ってもらいたいことを話しましたが、上司も組織変更の対応に追われてバタバタしており、真剣に話を聞いてもらえる状況ではありませんでした。
何も改善せず、業務量だけが増える状態が続き、心と体が限界を迎え、とうとうダウンしてしまいました。
これが、私が適応障害になってしまった状況になります。
こんなのまだまだ甘いと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとっては過大なストレスだったのです。